全国屈指の人気温泉地として知られ、2009年版ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで、
温泉地としては異例の二つ星で掲載された。
田の原川の渓谷の両側に24軒のこぢんまりとした和風旅館が建ち並でいる。
温泉街としては川の流れに沿って、東西に延伸しつつある。
渓谷にある温泉地であることから収容人数は少なく、歓楽的要素や派手な看板を廃して統一的な町並みを形成する方策を採っているため、落ち着いた雰囲気がいい。
1964年に南小国温泉の一部として国民保養温泉地に指定され、
かつやまなみハイウェイが開通したことで黒川温泉は一時的に盛り上がりを見せブームになる。
ブームは数年しか続かず、増築をした旅館の多くは多額の借金をかかえ、さびれていった。
そんな時代でも1軒だけ客足の絶えない宿があったが、
それが黒川温泉の父ともいわれる後藤哲也氏の経営する新明館です。
現在の黒川温泉の原点となっている宿泊施設である。
当時24歳の後藤さんは裏山にノミ1本で洞窟を掘り始めた。
「風呂に魅力がなければ客は来ない」と考えていた後藤さんは3年半の歳月をかけ、
間口2m、奥行き30mの洞窟を完成させた。
そこへ温泉を引き洞窟風呂として客に提供したのだ。
さらに、後藤さんは裏山から何の変哲もない多くの雑木を運び入れ、
あるがままの自然を感じさせる露天風呂を造った。
他の旅館の経営者が後藤の教えに倣って露天風呂を造ってみたところ、
噂を聞いた女性客が続々と訪れだした。
後藤さんを奇人変人扱いしていた他の経営者たちも彼を師匠と仰ぎ、そのノウハウを請い、実践に移していった。後藤氏の指導の下、すべての旅館で自然を感じさせる露天風呂を造ることにした。
その中で、露天風呂を造れない旅館があった。
それならいっそのこと、すべての旅館の露天風呂を開放してしまったらどうか」という提案があり、昭和61年、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「入湯手形」を1枚1000円で発行し、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施された。
町全体に自然の雰囲気を出すため、全員で協力して雑木林をイメージして木を植え替え、
町中に立てられていたすべての看板約200本を撤去した。
その結果、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には鄙びた湯の町情緒が蘇ったのである。
共同浴場・穴湯
ほとんどの旅館に露天風呂があり、宿泊旅行者は「入湯手形」を購入することにより、
3カ所まで選んで入浴することができる。
特別な宣伝はせず、口コミで評判を広げる方法がとられた。
口コミはインターネットなどでも広がり、ゴーストタウン同然だった当温泉街が
人気温泉へと変貌を遂げるようになった。
1998年に福岡の旅行情報誌「じゃらん九州発」の人気観光地調査で第1位となる。
2000年以後にはテレビ番組や各種雑誌などにも盛んに採り上げられるようになり、
知名度は一躍全国区となった。
評判は海外にも発信され、現在ではアジア諸国や欧米からの来湯者も多くなった。
黒川温泉は全国の温泉経営者や旅館組合関係者が、成功のビジネスモデルを見学、
視察に訪れるようになっている。